ミズオノオト - Cahier de Mizuho -

2002年に渡仏し7年後にフランスから日本へ逆留学。フランスに行かなければ鍼灸師にはならなかった日本人のブログ。

シアターコモンズ’21 百瀬文「鍼を打つ」で鍼を打った

アート Art の意味は「芸術」。

でも、 Art には「技術、技(わざ)、スタイル、技術を要する仕事」という意味もある。鍼術 - Acupuncture - もアートなのでアール。 

 

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出演した鍼師とスタッフの皆さん ©Theater Commons Tokyo 21 / Photo: Shun Sato

シアターコモンズ'21 百瀬文「鍼を打つ」に鍼師として出演するというレアな経験を味わった。いつものように鍼を打つわけではなく、制限のある中で鍼施術。でも、その制限のおかげで我々鍼師が得たものは大きかった。公演が無事幕を閉じ、この経験は今後の臨床にも活かせると確信している。今の感覚を忘れないように、私の頭に浮かんだものをランダムに書いておこうと思う。

 

theatercommons.tokyo

 

 

鍼灸治療を行うときは、患者さんから主訴を聞き、主訴以外の情報も聞く。たわいもない会話の一言が治療のヒントになる事も多いので、治療中の会話も不可欠。話の中から不具合が起こる原因を発見したり、話す事で安心する事もできる。治療中は黙っていたいという人もいるけど、話したい人も多く、時に、泣く人もいる。患者さんとの会話は鍼灸治療の当たり前。

 

今回のパフォーマンスではそんな会話もできない。 百瀬文「鍼を打つ」では、術者とのコミュニケーションは「接触」だけ。初日は衝撃的だった。

 

パフォーマンスの仕組みは「特別な問診票」にチェックをつけてもらい、我々はそれを解釈して鍼を打つ。鍼を打つ間、患者さんのイヤホンからは問診票の文章が流れている。問診票と言っても通常の鍼灸院で用意している類ではない。心の内側に引っかかるようなプライベートな内容も含まれているので、問診票の内容が興味深い。人によっては、その言葉の威力で心を揺さぶられることもあったと思う。問診票には哲学的な問いもあって、百瀬文さんのセンスの良さを感じた。あのナレーションの言葉を聞きながら鍼を打たれる事を想像。鍼が初めての人にとってはなかなかの幽体離脱体験なのでは?

 

イヤホンから聞こえてくる言葉はプライベートな領域に踏み込んでくる。そんな言葉を聞かされながら鍼を受ける訳だ。我々が言葉を発するのは、ベッドに仰向けになるように促すこと、お腹を出しますと知らせること、鍼の後に休憩を促すこと、それぐらいだ。 鍼師がすることは、手で触る接触と鍼を使った皮膚への侵襲。目を見つめ合う事も少ない。体験者は言葉もなく体を触られ、鍼を刺される感覚とイヤホンから聞こえる言葉に対峙する。

 

気づき

言葉というコミュニケーションツールの使用を禁じられて鍼を打つのは、私のように治療中に患者さんとよく話す人にとっては興味深いものだった。いつもよりも鍼の感触に集中せざるを得ないし、自分自身の感覚も研ぎ澄まされる。会話がないので、患者さんの身体が示すものを感じながら体験者の身体を触る。

 

  • 無言のパフォーマンスで鍼を打つことのみに集中できることの贅沢さ

 学生時代でも、言葉も発せずに鍼を黙々と打ち続けるという授業はない。なんの言葉も発せずに鍼を打つ体験をして、鍼師が感じることは全ての意味で未体験のものだった。この体験からは言語化が難しい多くのことを学んだ。

  • 皮膚を触られる安心感

「目を見て会釈をする」時、目を合わせようとしない方がいた。でも、終わる時には私の目を見つめている。触れられる事でその人のプライベート領域に少しずつ入っていき、触れる事で自分が受け入れられている事を感じた。

  • 言葉によって脳が思い込まされている可能性

このパフォーマンスを体験して、言葉によって思い込まされていることも多いという発見があった。患者さん側でも施術を行う側でも、言葉にすることで脳が思いこみをしてしまっているかもしれない。無言で純粋に鍼を刺される事を体験したからこそ、もっと会話を治療に利用できる可能性を感じた。会話によって脳が言葉で占領されすぎる事も純粋な感覚を奪う。

 

皮膚感覚が脳に与える影響

鍼の侵襲だけでなく、体を触られることも刺激であり、皮膚の触覚刺激は脳に影響を与える。言葉なしで鍼を刺されても患者さんが悲鳴を上げないのは皮膚を触られることによって得る情報が多いから。

 

皮膚は人体最大の臓器と言われている。実際、皮膚が担っている臓器の役割は大きい。でも、汗をかいたりといった臓器としての役割以外に、皮膚が脳のような役割をしていることも分かっている。

 

皮膚科学研究者の傳田光洋さんが皮膚は第三の脳(消化器が第二の脳)と言っている。「触覚機能を超えて、皮膚感覚と人間の心は繋がっている」という。実際、体を触られる方が触れられないよりも親密感を覚えるという実験はよく目にする。皮膚を触られる精神的安心感は鍼治療の効果を高める。パフォーマンスの中で体をただ触れている演出があって、その触れられているのが心地よいという感想が多かった。

 

そういえば、知り合いの俳優さんが「撮影前には皮膚を触ってもらった方が肌艶がよくなるから、オイルマッサージに行く」と話していた。マッサージが気持ちがいいから行くのではなく、「皮膚を触ってもらうために行く」と言っていたのが興味深い。その方は自分の感覚で肌が変わるのが分かっていたのだと思う。

 

アート - Art - という言葉

鍼灸という医療行為をアートの題材にするという視点は新しいと思った。でも、待てよ。Artは芸術という意味合いだけではなく、技術という意味もある。わたし達は鍼という道具を使って鍼術を患者さんに施す。鍼灸も体に施術を施すアートの1つだ。私たち鍼師も体という劇場の体感アートを生業にするアーティストだと思う。感性を豊かにして、感じとる力を養う必要がある。百瀬さんのパフォーマンスで演じた事で、鍼灸施術というものを考えた。人間の触覚感覚、認知感覚、言葉の響き、治療…。うーん、おぼろげだけど何かが見えてきた。

 

このパフォーマンスを通して、私の思考も過去と未来を行き来した。アートについて。フランスに住んでいた頃、コンサートや美術館、夏の屋外映画上映会、芸術に触れる機会が多かったし、それだけの生活の余裕と社会全体の空気があった。国が芸術に対して支援する金額も多いので、日本では高額なコンサートもフランスではチケット代が安い。芸術という意味でのアートが生活に根付いていた。

 

「人生は短く、芸術は長い」という格言がある。医学の父ヒポクラテスの言葉。

Life is short, the art long, opportunity fleeting, experience treacherous, judgement difficult.

(人生は短く、術は長い、機会は逃げやすく、経験は当てにならず、判断は難しい)

原文の意味は医者であるヒポクラテスが 「人の一生は短いのに比して、医術は深くて極め難いものであるから、これに従事しようとする者は時間を大切にして研究に励まなければならない」というものから来ている。百瀬さんのパフォーマンスへの「出張」期間中、この言葉を思い出した。

 

フランスで修士論文を提出した時、序文はこのヒポクラテスの言葉から始めた事を思い出した。この言葉を論文に書いたことなんて何年も忘れていたのに。ハッとした。下の写真が「ヒポクラテスの誓い」のフランス語バージョン。私の修士論文の序文(お恥ずかしい)。何年も忘れていたものをこのパフォーマンスで思い出し、「ヒポクラテスの誓い」で患者との向き合い方が書かれている事も思い出した。そいうものも含めて「鍼はアート」だと思う。

 

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良い治療を行うためには、自分自身の体も良い状態に保つ必要がある。常々思っていることだけど、精神的快楽を感じることは自分自身のストレスの解放に繋がる。その手段はどんなものでもあり得る。鍼治療でスッキリしたと表情が変わる人は多いけど、私自身は芸術で心が動かされてストレスが吹き飛ぶ。心のビタミン摂取のために芸術を利用するのだ。コンサートのチケット代が医療控除適用にならないのが残念だといつも思う。

 

今回のパフォーマンスは私の心を動かすセラピーパフォーマンスだった。鍼を打って術者の方も元気になることがある。無言のパフォーマンスから得たものは予想外のものだった。素晴らしい体験をさせてもらえたことをありがたく思う。会場の選択も良かった。SHIBAURA HOUSEのあの不思議な空間は今回のパフォーマンスにぴったり。リハーサルも含めてあの異空間に6日間通い、東京にいながらにして旅にでたような気分を味わった。コロナ禍での特別な旅だった。

 

 

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心配だったこと 

公演前にちょっと気になっていた事をメモ。

  • 深刻な症状があって治療を希望する人が来たら?→この作品の趣旨はそれではないと理解する事でその不安は取り払われた。後で分かった事だが、鍼灸師側はみんなそう思っていたようだ。
  •  痛みに耐えられない人がいないか。鍼が初めての人は緊張するのではないか。→ちょっと痛そうにする人はいたが、鍼師側の方で緊張緩和のコントロールはできた。鍼が初めての方もいたと思うので、言葉はなくてもできるだけ恐怖がないようにする事はできた。刺激が強すぎると本当に気分が悪くなる可能性がある。ある程度はここに刺しますよという合図をしてから鍼を刺した。

 

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公演が行われたSHIBAURA HOUSE。この空間演出も良かった。

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関係者の方々へお礼

このような前代未聞の作品を創作してくださった百瀬文さんに心から感謝の意を表します。鍼がこういう形で取りあげられる事はありませんでした。自分がこんな風に参加できた事を心から嬉しく思います。この体験によって日常の臨床では感じられないものを体感することができました。SHIBAURA HOUSEのあの空間で体験者の方々の感覚と自分の感覚が混じり合うような浮遊の時間はマジックでした。出演できた我々はラッキーだったと思います。

 

情熱を持ってシアターコモンズのそれぞれのプログラムに1つ1つ取り組み、他のプログラムも同時開催でお忙しい中でも何度も会場に足を運んでくださったシアターコモンズ'21ディレクターの相馬千秋さん、ありがとうございます。相馬さんの存在感は大きいものでした。コロナ禍で開催するシアターコモンズの成功は相馬さんの愛情と情熱が作り上げたのだと思います。ちなみに、持ってきてくださった差し入れは、文字通り我々の力になりました。

 

毎日細心の心配りで私たちを迎えてくださった制作の山里真紀子さん、どんな時も元気に会場運営をして我々鍼師のハートを掴んでいたインターン小橋清花さん、大変お世話になりました。あっという間の5日間でした。そして音響や会場設営、スタッフのみなさま、雰囲気の良いチームだったなと思います。心から感謝します。

 

最後に、この異空間の旅のきっかけをくださった松波太郎さん、北京研修の旅も良かったですが、今回の「旅」も負けていませんでした。鍼師選出の演出家として役割も大変だったと思います。衷心感谢!

 

一緒に鍼を打った「劇団鍼師」の仲間たちに出会えた事もかけがえのない財産でした。お誘い頂いた松波さん以外は全員初対面であり、それぞれの個性、鍼の打ち方も含め、ご一緒できて良かった。あの浮かび上がった天空の隙間で6人の鍼師が同時に鍼を打つのもイレギュラーであり、不思議なシンクロナイズド一体感が生まれていた。

 

 

ここには書かない私の個人的な驚きもあって、素晴らしい体験をさせてもらったんだなとつくづく思う。この体験が私の脳や体に及ぼした影響も熟成していくのだと思う。1つの節目の出来事だった。