ミズオノオト - Cahier de Mizuho -

2002年に渡仏し7年後にフランスから日本へ逆留学。フランスに行かなければ鍼灸師にはならなかった日本人のブログ。

Gerhard Richter : ゲルハルト・リヒター展 豊田市美術館

東京でリヒター展に行こうと思っていたのに、忙しくしていたらいつの間にか終わってしまっていた。そしたらSNSで「豊田市美術館のリヒター展が良かった」という投稿を見た。

そうか、巡回で名古屋に行っているのか。昔愛知県に住んでいたし、久しぶりに東海地方に行くのもいいな。というわけで、豊田市美術館のリヒター展に行くことにした。

 

リヒターは映画で少し見ていた(『ある画家の数奇な運命』原題 Never Look Away)。でもリヒターをよく知っているわけではない。東京ですぐに行かなかった理由のひとつかもしれない。一呼吸おきたいというか。

 

豊田市美術館に行くのに結構名古屋市内から遠かった。東京から行くとこんなに田舎なの?と思ってしまった。のどか。名古屋が「大いなる田舎」と言われるのが分かる。でもこの長閑さが良い。昔愛知県に住んでいた時とは違う印象を持った。離れているからそう思うのかもしれない。地名も独特な読みをする。地方に行くとそれが面白い。

 

 

公共機関で豊田市美術館に行くには「豊田市駅」か「上挙母(うわごろも)駅」から。名鉄を使って行きたいと思って検索。Google 先生の提案で上挙母駅から美術館へ。名鉄は幼少期に愛知県に住んでいた時に使っていたので懐かしい。

 

「上挙母駅」からだと表示もないのでインターネットがなければ辿り着けなかったかもしれない。そういうのも楽しみのひとつだけど、こんなのどかな感じとは想像していなかった。豊田市駅の方面とは全然違う。豊田市駅の方から来たら印象が違ったと思うから、かえって良かった。

 

リヒター展の館外幕も素敵



どんな感じなのかなと思っていたリヒター展。豊田市美術館のリヒター展を見て、リヒターのアートが至極気に入ってしまった。観てみないとわからない。観てみたらドンピシャだった。

 

「カラーチャート」や「ストリップ」をバックに「8枚のガラス」を写真に撮るとそこにいる人のガラスに写り込む感じ、絵と8枚のガラスのコンビネーションが面白い。鑑賞者もアートのひとつになっていて、自分や人が動く度に変化する様子が動と静をパシャパシャ撮影しているように動くような不思議さ。丁度ボランティアの方の解説で大勢の人が来た時に撮ったのが下の写真。変化する様子が飽きない。物事は移り変わるもので絶対的なものはない。

「カラーチャート」をバックにした「8枚のガラス」

 

「ストリップ」をバックにした「8枚のガラス」

ガラスの前で自分を撮影

 

ビルケナウ


「ビルケナウ」(2014年)のできあがるまでのストーリーが凄い。

 豊田市美術館学芸員・鈴木俊晴さんの解説。

「元々は1944年に強制収容所で撮影された4枚の写真をフォトペインティングと同じ技法で描いていた。でもリヒターはある段階でそれを諦め、絵の具で塗り潰して全く違う抽象絵画として完成させた。『イメージを描くことができない』というネガティブな状態を示すと同時に、その断念を新たな創造へと転ずることでもある。

絵画のビルケナウの反対側にほとんど同じ写真バージョンが展示され、それらがグレイの鏡に写り込むように設置されている。リヒターは鏡に写り込むように展示することが多いようで、同じイメージが反復されることから、歴史的な悲劇が繰り返されうることを示しているという解釈。また、絵画、写真、鏡に映ったイメージという異なるメディアで反復されていることから、何かを描き、表すことが可能なのか。思い起こし、記憶することが可能なのか検証されているのかもしれない。」

 

 

 

アブストラクト・ペインティングも良い!



空間も人の存在もアート

 

 

 

豊田市美術館でのみ展示の2022年のリヒター最新作の作品群も最後に展示されていた。

色が良いです。シャガールの雰囲気を感じさせる温かい色合い。

 

2022制作の最新作

 

リヒター展、東京で観ていたら印象も違ったものしれないけど、とても良かった。豊田市美術館の佇まいと髙橋節郎館も大いに気に入った。

 

髙橋節郎「夢・縄文の星座」1996年

 

谷口吉生建築の空間