フランスの大学院の同僚と東京で再会(鍼灸師になった経緯シリーズ 2)
(この話の前の話は『今でこそ鍼灸師だけど、昔は怪しいと思っていた』をどうぞ)
一昨年フランスに行った時、フランスで開業すればいいのにと言われた。
友人Bである。あの前回のブログで書いたベリーダンスで首を痛めて鍼に行ったフランス人の友人B。「鍼灸師は沢山いるけど良い鍼灸師を探すのが難しい」と言う。
昔は良い鍼灸師を知っていたけど、もうその人は治療をやってない。別の鍼灸師の所に行ったけど良くなかったそうだ。鍼灸師の腕の差が大きいと残念がっていた。そういうことを聞くのも鍼灸師としては参考になる。
という前置きは置いておいて、これについては後ほど。次回以降。
鍼灸師になる経緯に繋がるのは鍼の翻訳を手伝う事になったからだ。翻訳のアルバイトはフランスでした事があったが、鍼灸の歴史に関する翻訳は大変だった。
実を言うと、フランスに行った目的は当初は音楽学を勉強したいからだった。紆余曲折の末にそれは辞めて別の学科に入った。Transcultural studies の修士論文を無事に終え、修士号をゲット。ドクター課程に進んだ。だがマスターとドクターは大違い。というよりも今思えば、ドクターのテーマについて情熱を持ち合わせていなかった。情熱を持っていたとしてもドクターはとんでもなく大変なんだけど。。。
論文執筆には日本の資料も必要だったので担当教授に「日本語の資料が不足していてこれでは論文を書く事ができない」と不満を言った。
すると教授は、「フームムム。。そうか。じゃあ君は日本人だけど日本に留学に行きたまえ。資料収集の為に。」
なんと!!私が驚く間もなく、教授は手際よく受け入れ先の大学を決めてしまった。運良く東京の大学だ。地方だったらまた話が違ったと思う。
そこでまた色々あったが、はしょる。鍼灸師になる運命が近づいてきたのは、リヨンの同じ大学の博士課程の友人が東京の別の大学にいた事だった。研究テーマが似ているMだった。
私の受け入れ先の大学院にMの事を知っている人がいて、Mの大学のセミナーを聴講しに行ったりもした。元々テーマは大きく分けて同分野だったからだ。セミナーには鍼灸師だという人も来ていた。
そんな折にMが「ちょっと会わないか」と連絡してきた。フランス語で世間話をしたいだけかと思いきや、どうやら最初から下心があったらしい。下心と言っても真面目な方の。いくら日本の大学院に留学するぐらいに日本語レベルが秀でていても、外国語で論文を書くのは大変な作業。フランス語から日本語に翻訳するのを手伝って欲しかったようだ。
私もフランス語で論文を書いた経験があるから分かるが、母国語ではない言語で何百枚、何千枚も書くのだからそりゃ大変に決まっている。ネイティブチェックも必要になるし、ただ書けば良いと言うものではない。膨大な作業量だ。
論文が大変だというぼやきのような愚痴を聞かされ、上手いこと「じゃあ手伝おうか?」と私に言わせてしまった。あんなに大変な作業になるとはその時は思わなかったが、結局はそのおかげで鍼灸師になってしまった訳だ。
(続く)