ミズオノオト - Cahier de Mizuho -

2002年に渡仏し7年後にフランスから日本へ逆留学。フランスに行かなければ鍼灸師にはならなかった日本人のブログ。

翻訳は大変だったけど鍼灸は面白い(鍼灸師になった経緯シリーズ 3)

(前回の話はフランスの大学院の同僚と東京で再会をどうぞ。)

 

 

というわけで、「翻訳のお金を支払うから!」ということもあり、友人の翻訳の手伝いをすることになった。

 

翻訳といってもいろいろ。専門分野の翻訳は用語をどう訳すのか、固定の呼び名があるのかを調べる必要がある。その国で当たり前に使っている言葉が外国語では存在しなかったりする。

 

考えてみれば、友人は日本鍼灸のことを日本語や英語で読んだものをフランス語にし、それを私達が(他の人達にも翻訳を頼んでいた)日本語にする。元の原文の文章を知りたいと思った。今の私なら図々しく「この文章はどこから取ってきた?」と聞いていたかもしれないが、当時はまだそんな図々しさはなかった。それに、出典が多すぎて、原文を調べてそれにあたっていたら作業量が多すぎる。どちらにしても最終的な用語の整理は友人がすべきことだ。

 

フランス語を日本語にすることが難しいのではなく、用語や人物の肩書きの呼び方が問題。文学的な文章の美しさを求められるのではなければ、翻訳で大変なのはそこだ。

 

例えば、鍼灸師にとっては当たり前の「鍼管(しんかん)」。杉山和一が江戸時代に鍼管を使って鍼を打つ方法を発明した。これは鍼灸師にとっては当たり前の知識。でも、当時の私はまだ鍼灸師ではない。フランス語で書かれた文章から「鍼管」という単語はすぐに出ない。

 

ただ、江戸時代の鍼灸の経緯について書かれていたので内容は面白かった。私の論文も修士課程では医学史関係だったので元々興味のある分野だ。私は鍼灸ではなく蘭学の方だったが。翻訳を進めるうち、フランスの友達が鍼灸に行った話をしていたのも思い出した。

 

そんな中、自分自身の博士論文についてはやる気は下降する一方。文系の博士課程では10年も続けてまだ終わらない人もいたし、終わりが見えなかった。昔は博士課程で論文は書いてないけど「単位取得満期退学」と記載している人が多かったが、なんとなく理解できた。

 

私は鍼灸についての翻訳をしながら、鍼灸について調べることになっていた。博士論文の行き詰まりでこのまま続けることに疑問を持っていた時だ。鍼灸への興味が湧かないわけがない。私の家系は医者は多いが鍼灸師は一人もいない。将来を考えた時、このまま博士論文の執筆を続けてどうなるのかと思うと、自分が鍼灸をするのも面白そうだなと思い始めた。

 

考え始めると止まらない。医師である父に「鍼灸師になろうかと思うけど、どう思うか」と恐る恐る聞いた。意外にも「いいんじゃないか。(私に)合っているかもしれない」という肯定的な返事。それが決定打だった。医師を父に持つ鍼灸師の先輩で、鍼灸師になるのを大反対され、勘当されそうになった人も知っている。この時、医師である父が肯定的なことを言ってくれたのは有難かったと思う。

 

資料収集という名目で日本に逆留学したわけだけど、自分の論文の資料収集ではなく、結果として、将来の自分の職業の資料収集をしたことになった。

 

 

(続く)

 

f:id:FreresLumiere:20201204102343j:plain

2010年8月7日撮影。パリ。音大の学生が路上で音楽を演奏してる。