Vadym Kholodenko ヴァディム・ホロデンコ
先日ウクライナのピアニスト、ヴァディム・ホロデンコ Vadym Kholodenko のピアノコンサートに行った。去年2018年6月にサントリーホールで聴いて以来、この人のことは注目していた。昨年2018年11月にフランスに行った時、わざわざ日にちを伸ばして彼のパリのコンサートに行った。先日のコンサートで3回目。
ヴァディム・ホロデンコには世界的なピアニストであるということ以外に、悲しいニュースがある。
2016年3月17日に離婚協議中の妻ソフィアが子供2人と無理心中をはかり、ホロデンコが行った時には娘2人は既に窒息死していた。そんな事件を知ってしまうと、ホロデンコの音に何かの感情がプラスされる。
当時の新聞記事。世界的ピアニスト宅で1歳と5歳の娘が死亡、妻には複数の刃物傷 米テキサス
娘2人を失ったというのは後から知った情報だったが、彼は私にとってシンパシーを感じるというか、裏切らない演奏をするという信頼感がある。
昨年、あるピアニストのベートーヴェンのピアノコンサートに行った。ウィーン出身の人。気に入らなかったのでそのピアニストの名前は書かない。「悲壮」、「月光」、「ワルトシュタイン」、「熱情」という有名曲ばかりだし、さぞかし重厚なのかと思って足を運んだが、期待はずれだった。ジャズの即興のような軽さで弾くかと思えば、力強くなったり、全体的にアンバランス。
その時の会場の雰囲気のせいもあるかもしれないが、私がクラシックコンサートに行って落胆することはあまりないので、こういう時もあるんだなと思った。当時の個人的な出来のせいで、自分の心理状態も左右していたかもしれないが、腑に落ちなかったのでそのコンサートについて検索してみた。音楽評論家の方が自分の好みではない、という書き方をしていたので、客観的に聴いてもそうだったのだろう。
でも、というか、やはり、ホロデンコは彼らしかった。「月光」も。ホロデンコはスラブの曲が一番似合うとは思う。でも、彼がベートーヴェンを弾いても、ああそうなのねと納得する演奏。
コンサートに行くのなら、信頼できる人のものを聴きたい。信頼できる美容師さんや医者に行くのと同じように、ホロデンコのコンサートに行くのは私にとって彼が信頼できるピアニストだから。
私は鍼灸師なので、鍼灸師と行っても十人十色でみんな違うと思う。ピアニストもそう。なんでもそうだと思う。あのウィーン出身のピアニストの演奏を良かったと思った人もいたのだろうが、私はもうあの人の演奏会に自分から行くことはないと思う。
この人は安心だ(というより素晴らしい)と思う、存命のピアニスト(兼実際に生演奏を聴いた)を下に挙げる。要するに好きなピアニスト。偉そうな書き方をしているかもしれないが、最高の褒め言葉のつもりである。
András Shiff アンドラーシュ・シフ (ハンガリー出身)
Evgeny KIssin エフゲニー・キーシン (ロシア出身)
Hélène Grimeau エレーヌ・グリモー (フランス出身)
Vadym Kholodenko ヴァディム・ホロデンコ(ウクライナ出身)
個人的な思いもあるので、これはあくまで私の好み。他にも世界的に有名なピアニストのコンサートに色々と行ったが、私の定義する「安心感」があるのが上に書いた彼ら。他のピアニストの演奏が悪い訳ではない。素晴らしいのだが、個人的なシンパシーの問題。共鳴する。
私はフランスにいた時にポーランド系のムッシューに芸術面でとてもお世話になった。コンサートやらバレエや色々なものに連れていってくれた。その人がスラブの熱い血を語っていたこともあり、スラブ系に対する親愛の情の刷り込みがあるかもしれない。昔、ロシアのバイカル湖に行った時も、歓待を受けた。スラブの人たちは本当は熱いということを肌で感じたことがあるせいだと思う。実際、東欧、ロシアの方の演奏家は演奏も体力があるし、技術的にも超絶に素晴らしく、しかも情熱的だと思う。
私は絶対に自分が安心できる「精神安定剤」を聴きにコンサートに足を運ぶのだ。