Cours d' «Hichiriki » 篳篥(ひちりき)
昨日、篳篥の12回目のレッスンを終えた。篳篥を習っていると言うと色んな反応がある。
「え?!あの?雅楽の?」と驚く人もいれば、
「そうなんですか!!」(驚きと笑顔の両パターン)」。
「。。。。。。???」不思議そうな顔をする人。ヒチリキとはなんぞ?と顔に出ている。
今の所「私も篳篥やってます。やったことある。」という人には会ったことがないが、龍笛をやっている人は何人かいた。でもインスタでは篳篥をやっている人がいるし、会った事がないだけで篳篥仲間は存在する筈である。
そもそも私が篳篥を習いたいと思ったのは、東儀秀樹さんの篳篥の音色が素敵だなあと思ったのが始まり。音楽は大好きだけど(音楽を聴くと涙がでる話を前に書いた)、聴く方が専門で自分で演奏したいという強い欲求にはならなかった。(演奏したいと思った楽器があったけど、やるに至らず。)
楽器は自分で持ち運べるものじゃないと面倒だし、長時間の練習を強いられるものだと生活に影響が出る。思えば、子どもの頃にピアノを習っていたけど、とても怖い先生だったので、ピアノを弾くのが好きという感情よりもその頃の先生の厳格さと「練習しなさい」という脅迫観念の方が強かった。ピアノ曲自体は好きなのでコンサートによく行く。
2018年1月、東儀秀樹さんがテレビ番組で篳篥を吹いていた。篳篥は今は値段も高くないし、練習すれば吹けるようになる、と篳篥親善大使のような事を言っている。そんな言葉よりもなによりも篳篥の音が素敵だった。こんな風に吹けたら気持ちがいいだろうな〜と思う。思ったが吉日ですぐに篳篥レッスンをしているところを探して体験レッスンの予約をした。2018年1月11日に初の体験レッスン。篳篥の良い所は、小さいので持ち運びがとても楽。横笛やバイオリンなどのように体の片方が片寄って疲れるということはない。体にも負担にならない。これは楽器としては丁度良いではないかと思った。
やってみて、音が非常に大きいので練習があまりできないという短所があると分かった。清少納言が『枕草子』の中で「篳篥はうるさい」と書いていただけの事はある。清少納言の言葉に興味のある方は雅楽GAGAKU デジタルライブラリー 清少納言と篳篥をどうぞ。
レッスンの日にち変更をしたり、外国に行っていたり…でやっと昨日12回目のレッスンを終えた。2018年1月が最初で2019年5月が12回目。月に一回のレッスンができていない。でもレッスンに行くと呼吸筋、腹筋などを適度に使って気持ちがいいし、メロディーが落ち着く。神社でよく流れている越殿楽(えてんらく)を一番最初にやることもあって馴染みがある。まず唱歌を歌ってから篳篥を吹く。唱歌の通りに吹けば大丈夫と言うけど、そんなに簡単なら苦労しない。でも、篳篥への空気の入れ方や口でリードを調節したり、自分の体を使って音を出す感覚の強い楽器なので楽しい。音がしっかり響くので存在感がある。
東儀さんの演奏する篳篥の音が良いのはヒチリキを始めた理由の一つだけど、もう1人の友人の存在も潜在的に私に影響を与えている。
フランスから日本に帰ってきたばかりの頃に知り合ったフランス人の友人が雅楽の笙をやっていた。その友人は日本文化が本当に好きらしく、わざわざ日本に来るためにフランス大使館のポストをゲットしたと言う。最初は奈良にいて、そこで笙を勉強。東京に来てからも続けているとのことだった。笙以外にも、茶道をやりたいと言うので私の知り合いの茶道の先生を紹介した。
その友人はもうフランスに帰ってしまったが、日本で笙を習い、茶道を習い、着物を購入し、茶道具も持ち帰り、日本に対する情熱には敬服するばかり。フランス人は何かが好きになると徹底的に好きという人が結構いる。「良い意味で」オタク気質、研究者気質があると思う。
雅楽は「意外とやってみたら難しかった」と言う人がいるという事を先生が昨日のレッスンの最後に話していた。どの楽器もそれぞれ特徴があって簡単なものはない、とのこと。
◯ 篳篥 音程が不安定だから正確な音を出すのが難しい。
◯ 笙 和音楽器で合竹で和音を鳴らしているから指遣いをまず覚えないといけない。篳篥は単音だけど複数の音を和音から次の和音に移る「手移り」で指遣いを全部覚えないといけない。押さえる指も見えないし、指穴も小さいからそういうのも難しい所があるらしい。
◯ 龍笛 肺活量が必要。動きが早いので指を動かさないといけない。鳴らない人は鳴らない。
それぞれ大変だという事を話していた。雅楽に限らず、音楽も体力が必要。それぞれの楽器によって特徴はあるけど、練習すれば練習しただけ上手くはなる。なんでもそう。練習が必要なものはやればやるほど脳が記憶してるのがわかる。